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娘の不登校…次女…小2の冬

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(写真は三女が不登校になった時に、

教室の隣りの準備室で、私と2人で過ごしていた時のものです。

 

彼女は、社会の時間に、どうして漢字練習をしちゃ行けないの?

やりたい勉強をやりたいのに。って不思議そうに、言う子でした。

 

 

勉強が嫌いな訳でも、友達と仲良く出来ない訳でもなく、ただ公立小学校のやり方が合わない子なんだと気づきました。)

 

 

 

 

ここからは、次女の話です。

初めての不登校を経験

 

娘(次女)が

初めて不登校になった時は

私は、かなり自分を責めました。

小学校2年の冬でした。

 

 

 

育て方が悪かったのかな。

 

 

 

愛情が足りないのかな。って、

学校に行かない娘と喧嘩して、2人で大泣きしていた事もあります。

 

 

 

小学校2年の次女が

夜、泣きながら家を飛び出して、追いかけて行ったこともありました。

 

 

 

先生に勧められて

スクールカウンセラーに相談に行ったときに、

 

『娘さんはね、

お母さんが元気がないから、心配で学校に行けないのかも。』って、

言われた事。

(その頃の私は色々大変で自分のことでいっぱいでした。)

 

 

友達に相談したときに、

 

『人生80年って言うでしょ。

長い人生の中の1年や2年

学校に行かなくてもいいかもよ。』って言われた事がキッカケで

 

 

私の気持ちが少しづつ緩んで

違う視点から見れるようになりました。

 

 

どうせ休むなら、

遊びに行こうか…と気持ちを切り替えて、

2人で公園に行って遊んだり

 

 

美味しいランチを食べに行って、2人でデートしたりするようになりました。

 

 

学校を20日くらい休んだ時に

学校の保健室なら通ってもいいかな。と言い出して、

親子で保健室通いを始めました。

 

 

同じように、教室に行けないお姉ちゃんやお兄ちゃんがいて、

その子たちがとっても優しくて、

その頃の保健室の先生も

温かくて、子供の気持ちを尊重してくれる人で、

少しづつ保健室に通うことが楽しくなって行ったのを覚えています。

 

 

今思うと、

保健室にも通わなくても良かったんだけど、

 

 

 

その頃の私は

どうにかして、元のように、学校に通ってほしい思いがありました。

 

 

娘もわたしのその思いをくんで

頑張っていてくれていたんだと思います。

 

 

つづく…